イタリアン・ヴォーグのサイトを見ていたら

イタリアにトップファッションモデルが少ないのはなぜ?ということについての記事を見つけました。

それについては私も常々思っていたのですが、やはり同感なことが書かれていました。

・ファッションモデルという職業が、イタリアでは本職とみなされていなく、他の職業に付くための手段にすぎない。
・若い子達は競ってテレビのショーガールのオーディションや、ミス・コンへ出場。しかも自分の夢を娘に託したような母親や近親者の付き添いで・・・。

わかります。
なんかね、きれいになりたいという気持ちは誰にだってあるし、あってよいと思うのですが、親までが「きれいじゃないと損するから!」と躍起になって、娘をいじくっている姿は、ああ、古風な世界なんだなぁと感じてしまうのだな。

90年代にイタリア人としてトップファッションモデルに君臨したのはカルラ・ブルー二くらい(フランス育ちだし)。同時期にトップモデルになったモニカ・べルッチはすぐに女優になってしまったし、2000年に入ってトップファッションモデルと呼べるイタリア人はマリアカルラ・ボスコーニ、ビアンカ・バルティくらい。

私が思うには、トップファッションモデルであり続けるためには、テレビに出ちゃだめなんだと思うのです(ファッション関係を除く)。
一度お茶の間に知られてしまうと、その時点でファッションじゃなくなっちゃうんですよ。
お茶の間の目に触れたら、ショーガールそしてヌードカレンダー、ゴシップとなるのですな。

「イタリアン・ヴォーグのサイトを見ていたら」への1件のフィードバック

  1. カナダのリンダ・エヴァンジェリスタはイタリア系で「私達スーパーモデルは一日一万ドル以下の仕事ならベッドから降りないわ」という生意気な名言を残したので、1980年代末期から1990年代の一世を風靡したスーパーモデルたちは本当にすごいなと思います。

    私が子供だった頃はシンディ・クロフォード、クリスティー・ターリントンやクラウディア・シファーが特に有名でした。当時クリスティー・ターリントンはメイベリンのイメージキャラクターを務めており、そのテレビCMは台湾でもよく放送されていて、キャッチコピーのMaybe she’s born with it. Maybe it’s Maybelline.(それは彼女の生まれつきなのかもしれない、それはメイベリンなのかもしれない)は今でも脳内に焼きついています。

    カーラ・ブルーニは以前顔も名前も全然知りませんでした。元々私がカーラを知ったきっかけはお姉さんのヴァレリア・ブルーニ=テデスキのフランス映画を見てインターネットで彼女のことを調べたからです。

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